2012年8月27日月曜日

原子力ふと。

震災前に途中でやめてた「ヒロシマノート」をあらためて読み直す。
書かれたのは1964年。
放射能へのどうしようもなさは50年前も現在も変わらない。広島で被曝された方々のような状況、状態にならないとは言い切れないのではないのか。
母胎の中で被曝した人が、成人しても長く生きられず予定通り死んでいきますと亡くなられた、そういう悲劇が起こってしまうのか。

「ダークナイト・ライジング」のラストでバットマンは爆発寸前の核爆弾を沖へと運び海中で爆発させ街を救ったけど、あの距離なら街の人々は全員被ばくしただろうし、海の汚染は半端ない。
あーあ、と思ったんです。
解決してないよって、これからも大変なんだよって。
別にバットマンを責めてるわけでもなく、ああいうラストに遺憾なだけです。

井上ひさしさんの「父と暮らせば」に原子爆弾を見た主人公の父が「太陽がふたつ」と言っていたのを読んだ時はハッとさせられました。
その視点で中沢新一さんの「日本の大転換」を読むと、ぐわわってなります。






2012年8月13日月曜日

振り向けば横浜。

横浜でniboroll off-nibroll「see/saw」を観劇ー。
上階で行われていた一人芝居は、俳優さん(指姉っ!!)、美術、脚本、演出、映像などみんなとっても素晴らしかった。ミクニさんの作品は欠かさず拝見してますが、一番好きかも。
流れ星のくだりが深く印象的で、生の一瞬さというよりは、流れ星を見逃してしまうということは、人が死ぬ瞬間を見逃してしまうことと同じという虚無感にうわっとなりました。
ダンス公演も含めて考えたのは、大きな音に象徴される動的な生(花、若さ、狂喜、走る)が終わった後の静けさ(余韻も含めて)、そこにまた違う"生"を感じました。老いることの生というか。

アジカンを聴きまくる日々です。
道を歩きながらイヤフォンのヴォリュームをわりと上げて、前を歩く人の背中に向けて訴えるかのように口パクで歌ってます。


2012年8月9日木曜日

クリーン。

「ロンググッドバイ」をDVDで観ました。推理をするってことが目的じゃないだろうなと。
ハードボイルドの意味が分からないけど、フィリップ・マーローに女々しさをみてしまい、憤る。
原作読んでないけど、もっとこう、強さを感じたかった。飄々とではなく。

時は過ぎるよ。ラララ~♪

メダル受賞者への質問が同じすぎて、気の毒に思えます。

2012年8月3日金曜日

ライジング。

僕自身のモヤモヤ感など本当に個人的過ぎて誰にも共感されるわけない。
それを払拭するというか抜け出すというか、そんなやつのかけらを今日得たりた。
と思う。
文体、スタイルを探すのです、これからはっ!